【相生橋】
みなさんご存知かと思われますが、1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、、B-29爆撃機(通称:エノラ・ゲイ)によって、ヒロシマに原子爆弾が投下されました。核兵器が有史以来初めて実戦使用された瞬間です。
この一発の爆弾によって、広島市の人口の半分弱、14万人が死亡したといわれています。
当時のアメリカ軍の作戦は、
1)攻撃日 8月6日
2)攻撃目標 広島中心部と工業地域
3)予備第2目標 小倉造兵廠および同市中心部
4)予備第3目標 長崎市中心部
5)特別指令 目視投下に限ること
だったそうです。
※8月9日の原爆投下は当初、第2目標の小倉でしたが天候不良により視界が悪かったため、第3目標の長崎市に変更されたそうです。
8月6日午前8時15分の広島市街地上空は晴れでした。したがって計画通り原子爆弾が投下されました。
作戦の5点目、「特別指令 目視投下」の目印にされたのが、T字型という特異な形状をしている「相生橋」です。
エノラ・ゲイが実際に原爆を投下したとされる高度9,600mからみた広島市です。
ほぼ中心に位置し、T字型の「相生橋」が確認できると思います(赤丸で囲った部分)。
みなさんご存知の「原爆ドーム」と「相生橋」の位置関係です(上空1,000m)。
実際の爆心地は、相生橋からずれて、原爆ドームのやや南東といわれています。
原爆投下前後の爆心地付近の写真です(ウィキペディアより転載)。
言うまでもありませんが、左が投下前、右が投下後の写真です。
投下後の写真、全てが消し去られています。
核分裂で発生した火球の表面温度は数万度、爆心地の地表が受けた熱線は通常の太陽の照射エネルギーの数千倍で地表温度は3,000~6,000℃、爆風は強い台風の中心風速の10倍と同程度の凄まじい破壊力だったそうです。
当時は木造家屋が主でしたが、熱線と爆風により爆心地から半径約3km圏内の家屋は全壊・全焼したそうです。爆心地は一瞬にして音速を超える爆風の衝撃波と熱により、家屋は倒壊・焼失、あらゆる命が消えました。
『はだしのゲン』を読んだことがある方はご存知かと思いますが、人智を超える熱線を浴びた人は体内の水分が蒸発し炭化、また手すりを持ったままの状態で炭化した遺体をのせ惰性で動く市内電車が描かれています。
話は少しそれますが、この度東北大震災が発生し、福島第一原発で事故が発生しました。
福島第一原発の事故は未だ収束の目処も立っていないような状態です。
アルピニストの野口健さんが「福島第一原発、20キロ圏内の世界」と題し現地で犠牲になっている家畜についてレポートされています。その惨状は上記『はだしのゲン』を想起させる凄惨な光景です。
アルピニストの野口健さんのブログ「福島第一原発、20キロ圏内の世界」※かなり衝撃的な写真が掲載されています。ご留意ください。
チェルノブイリ、スリーマイル、福島第一原発。
チェルノブイリは今ある石棺をさらに包み込む石棺を用意し放射能漏れに対処する始末。
原爆(核兵器)の人智を超える破壊力。
人間はあたかも核エネルギーを自在に操れるようになったと錯覚しがちですが、とても人間が制御できる代物とは思えません。
原子力発電の安全神話が崩れた今、地震国である日本にとって原発は極めて不安(危険)要素であると思います。今すぐ国内全ての原発を廃炉するのは不可能ですが、脱原発依存は必要になってくるのではないでしょうか。
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